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missionコラム

那珂川に想う

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12月16日▲

 

近代文明は西欧から歩み始めたということに異論を持つ人はいないだろう。あちこちで文明論が盛んな今日、私のような不明な者が首を突っ込む隙間などないのかもしれない。

 

それでも私が感じるところ、繁栄を謳歌しているとは言いがたい不安感、または薄っすらとした自覚のある諦観、というものが世間のあちらこちらを漂っているようだ。例えば、人間の尊厳を護るべき個人主義は、なにやら結局全人類の存続を脅かしてはいないかとか。あるいは合理性カルトというべきか、光速のような実感のない概念を絶対視し、時間と空間が振り替わるのだと信じ、これを凌駕できる理論をもたない限り疑いを口にすることすら難しいとか。

 

この潮流に飲み込まれながら今日を生きるしかないと感じている。この大騒ぎから抜け出すことは無理だろうと独り空を見上げる。

 

その一方で、いまさらこの文明の果実の甘さを無いものと考えることはできそうにもない。

 

こんな無節操で矛盾に満ちた自分である苦しさに、名の知れた西洋の故人の名を挙げてまで訴求するのは、余りにも身勝手、身の程知らずというものであろう。

 

ここまで考えてみるとどうだろう。この際、拙くとも勇気を持って他の人に説きまた説かれてみたいという、どうにも押さえきれない気持ちが湧いてこないだろうか。少なくとも、自分はわかっているんだという虚構に胡坐をかき、世間を辟支仏(びゃくしぶつ)気取りで俯瞰する、調子づいた物書きよりは面白くなりはしないだろうか。

 

***

 

究極の智慧=般若波羅蜜多とはいかなるものでしょうか。

 

時間と空間を自在に観ることができる尊格を観自在菩薩といいます。そのかたは般若波羅蜜多という境地に至り「五蘊はみな空だ」として一切の苦厄を払うことができるのです。

でも勘違いしないでくださいね。苦しいことや厄介なことが除かれるのは結果でしかありません。彼らはただ智慧の果てに辿りついてみたいのです。どこまでも、智慧の限りを尽くしてみたいのです。そのことに憧れてしまってもう、夜も眠れない気持ちなのです。

 

わたしたちは五蘊と呼ばれるものでした。それは、五感を含むこのからだ、その五感で感じる力、感じたものを察する力、それについての意思を持つ力、そして最後にそれらの顛末を評価して知識や記憶とする力、です。これに付け加えなければいけないものが何か他にありますか?

しかしこれらは全て実相ではないのでしたね。からだは原子の集まりで、常に入れ替わるものでした。美しい女性を見るとき、私の目に届くのは女性ではなく光でした。彼女に触れる感触も、指先から神経を伝わる電気に変わり、大脳皮質があらためて編集しているものでした。

日ごろ意識している「自分」が実は固有のものなどではなく、「自分以外」との関係で無限の変化をする五蘊だったのでしたね。それがわかれば自分という殻がだんだんと薄くなり、全体=空との連続性、自分は全体の中の揺らぎ=縁起なのだという実感を得ることができるのでした。

 

ちょうどいいところに、お釈迦様が「智慧第一」と呼ばれている舎利さんが来られました。彼に聞いてみましょう。

 

舎利さん、色は空であり空は色でしたね。色とはあなたや私が見たり聞いたり嗅いだり触れたりして感じているもの。空とはあなたや私が含まれている世界でした。例えば、私にとって感慨深い福岡の冬は、あなたにとって寒く辛い時間なのかも知れません。あなたがそんなに恋焦がれる特別なひとも、塀の上の猫には一匹のヒトとしか映らないのでした。関係が異なれば全く別の揺らぎになるのが色でしたね。でも、固有の揺らぎで生まれた色によって空は成り立つのでした。そしてまた、空は揺らぎによりあなたに固有の色となり現れるものでしたね。

 

もう少し舎利さんに聞いてみましょう。

 

舎利さん、その場所にそれが在るということは、そこ以外の場所でそれが無いという揺らぎが起こっているだけのことでしたね。同じように五蘊も、つまりすべての精神作用も、全体の中での揺らぎ=縁起から派生した一部でしたね。言い換えれば、全体=空の揺らぎが変化し続けるから、「自分」を意識でき、多様で無限に移り変われるものなのでしたね。だからあなたは、我々がたまたま全体=空に含まれた揺らぎ=縁起であるだけで、生まれもせず滅しもせず、穢れもせず清まりもせず、増えもせず減りもしていないことをおわかりになられている次第ですよね。

 

舎利さん、どうもありがとうございました。

 

おそらくあなたは理に明るく、もう察してくださっていると思います。そうです。この智慧の果てがわからない=無明ということもあり得ないのです。それは全体につながるあなたそのものだからです。「理解できる」「理解できない」なんてことは揺らぎから派生した虚構なのでした。全体=空からみれば、老いることもなく死ぬこともなくさらに、老いや死が尽きることもないということなのです。あなたはきっと空が内包する、無限のいのちとの一体感を抱いていることでしょう。

 

実は、ここで最大の誤解を解かなければなりません。

 

せっかく今まで言葉で説いてはみましたが、それにより合理的に理解されたあなたはすでに虚構なのです。これは先ほどからの話でおわかりいただけますよね。説くには言葉が必要ですが、言葉により合理的に理解したものは虚構なのです。

 

ではどうすればいいのでしょうか。

 

言語、合理、概念。これで理解することは必要です。だってわれわれには3000年以上も前から身についている習慣なのですから。重要なのはこの後です。今までは下準備、これからやっと本番ということです。

 

まず、概念に囚われず、言語により切り刻まず、五感に頼らないと心に決めてください。そしてただこの光輝ある咒文を唱えるのです。それは一読してなにも意味がない、また理解もできない咒文なのです。智慧の果ては理性で捉えるのではなく体感するものですからあたりまえのことですよね。

しかしこの咒文が響くとき、それはあなたが出す声ではなく、空そのものであるはずです。いま私は、あなたにこの咒文を唱えていただきたく、いてもたってもいられないのです。空への一体感を抱いて欲しく、もう、いてもたってもいられない気持ちです。

どうか、お唱えください。

 

羯締羯締 波羅羯締 波羅僧羯締 菩提薩婆訶

(ぎやてぃぎやてぃはらぎやてぃはらそうぎやてぃぼじそわか)

 

般若心経。

 

「現代語版般若心経(玄侑宗久著:ちくま新書2006年)」を参考にさせていただきました。

 

7月20日 

我々は日本列島に棲む固有種である。

 

我々が生きるには、飛ぶ鳥が大空を崇めるように、駆ける馬が大地を畏れるように、この美しい国土を愛することを宿命とする。宿命とは、始まりも終わりもなく、不可避・不可分なものとして自己に内包しないではいられないものだ。

この、神州とも呼べる日本列島は、冬にシベリア寒気が流れ込み、東京の最低気温はレイキャビクのそれよりも低くなり、湿暖を好む害虫や菌を死に至らしめる。夏は太平洋モンスーンが亜熱帯性の照葉樹林を育む。特に日射が厳しい夏至前後には、遠くチベット高地から吹くジェット気流が奇跡的に太陽を遮り、降雨と低温の恵みを与えてくれる。mountainとは岩山だが「やま」といえば緑深い森に被われるのだ。その豊かさゆえに私達は、人類の中でも特異的なまでに情緒の発達がみられ、山の神に御輿をあげて雄叫びし、大波に呑まれる自分さえ芸術の対象となるのだ。

 

かくすれば かくなるものとおもへども やむにやまれぬ大和魂

 

このような潔い考えを持てるのも、個人の持ちうる我欲を上回る価値と意義を、この国が用意してくれるからに他ならない。

もし日本の自然に興味を持つ外国人が身近にいれば、野生の猿を見せるといい。特に、未だ秘かに人種の優越性を信じる欧米の生物学者であれば、彼ら自慢のキリスト教史観が音を立てて崩れていく。その青い目には、人類以外の霊長類と共存している、驚異の先進国が見えるはずである。

私達は列島に生まれ、二十四の季節を感じ、再び列島の土に還る。時に世界から孤立しようとも、この神州を守るために命を懸けてきた。過去の日本人も続けてきた、これからの日本人も必ず続ける。日本人が日本に棲むことは、アングロサクソンがアメリカ大陸に住むよりも、ロシア人が東アジアに住むよりも、はるかに正当な根拠があるのだ。それは先人の魂が紡がれた、静謐で高貴なる絹織物であり、他国・他民族の推察などを、はるかに超越するものだと言い切っておこう。

 

しかし残念だが、実にくだらないこともある。例えば、経済ニュース番組あがりの大臣は、環境を破壊する狂気の偽善を続けている。襟の立った半端な衣類や雑物を野放図に生産消費させ、一方で国家単位のエネルギー収支では、もともと小さな効果しかない室温28℃設定でさえ、「お客様のご要望」「私どもの特別な事情」で無視させるという結果を招く、お粗末な浅知恵である。

 

環境と領土を関連づけるだけでも、炭素から水素へのエネルギーシフトが確実な近未来に、日本は資源大国かつ技術大国、いや、世界の覇権を握り得る歴史的な超大国となれるはず、という国策レベルのプロットが可能である。にもかかわらず今、日本固有の領土では、メタンハイドレートやレアメタル、その他海洋資源を豊富に抱く東シナ海と日本海を、天然資源への繊細さを持たない支那朝鮮にいいように侵されている。松前慶広(よしひろ)が領土とした北方四島は、シベリアの天然ガスと同じく、冷血なロシア人の気まぐれにより、日本国旗を見ずに霧散してしまいそうだ。

これらの現状に歯軋りする国家エリートは何人いるだろうか。知性ある多くの日本人は、重大な国益を簡単に獲得できるとは考えていない。その役割と責任を持つ者が、常人よりはるかに優れた能力をもつ超人などではないことも知っている。しかしながら祈る思いで見守るのは、面前の難題に全知全能でぶつかって行く彼らの姿を目にしたいからではないか。そんな期待を裏切るように、デパート視察で『Cool Biz.』のお祭騒ぎでは、噴出す怒りを抑えきれないのは私だけではあるまい。教えておくが、日本男児が暑苦しさを覚えるのは、不快指数でも、ネクタイでもない。ズレた政治家と、センスの無いデザイナーをニュースで見かける時をおいて他にはない。仮にそれらが狂い咲きのババアであればなおさらかもしれない。

 

そもそも「環境を大切に」とか「環境に優しい」などと騒ぐ人間の声には、人類が自然や地球を制御するものだという、階層的なものの考え方、つまり驕りの意味合いが含まれている。己の姿に無反省な人間が、環境の何を解決できるものか。人間が優しくしてもしなくても環境は無条件に人間に優しくしてくれるのだ。環境からみれば、権利だの自由だのと喧しい、人間そのものが迷惑なのかも知れないのに。

 

それでも何かしないよりはまし、と慰めるしかないというのが、この星の実情ではあるが。

 

ことにあたるには、まず自然を、地球を畏怖する心を持て、ということだ。独善的な意思を持ったがために、世界を上手く創り上げようとした挙句の果て、世界中を破壊と喪失に晒さざるを得なくなる失敗は、歴史のあちこちにみられる摂理のようなものである。

 

環境が人類を許容してくれる未来があるならば、自然に対する情操を最も理解している日本人こそ、世界を導ける資格を持つことになると信じたい。

 

山は繁り海が輝く季節、魂みなぎるこの神州に、固有種である私は、湧き上がる情念を隠そうとは思わない。

 

 

7月31日 

都市はあまねく人為の集積です。新たに到来する者は、ふとした営みに都市のもてなしを感じ、気持ちを傾けていくうちに、自らもその都市の一部になるのでしょうか。

***

 

「芙蓉の花、好きですよ。」

娘はバスルームで薄緑色の香水の瓶を傾けた。この街で生まれたという。柑橘の香りがベッドの上まで漂う。西に傾いた陽はなかなか沈まない。Nは身支度を続ける娘の背中を眺めながら、時間が止まっているようだと感じた。子午線の西にあり北西に湾を抱くという地理的な理由だけでは、この宵の明るさは説明し難い。もしかするとここには、他の都市にはない固有の時空があるのかもしれない。ならばこの娘は、そこだけに棲む幻かとまで思うのは、さすがに気持ちを遊ばせすぎだろうか。

Nはベッドから降り、娘に追いつくように、衣類を纏いはじめた。

 

空港へ向かうタクシーの中で、陽はようやく沈んだ。半袖姿にネクタイを緩めた男たちは、昼間よりペースを落として歩いている。海に近い川の水面は揺らぎながら、彼らの姿を映している。

 

Nは、今度の仕事に興味を持ち始めた自分が、少し嬉しくなった。

次にこの街に来るときはある期間住むことになるだろう。1年か、3年か?ひょっとして10年ぐらいになるかもしれない。今日会ったあの男は相当に影響力のある人物だ。言葉や仕草が明らかに他の人間とは違った。果たして彼らとの、決定的な対立場面は来るのだろうか?その時は冷静に、こちらの出来ることをするまでだ。いや、相手もこちらを認めているはずだ。むやみな対立は望んではいないだろう。

空港が近づくにつれ、高い建物が少なくなり、まだ明るさを残す西の空が見通せるようになった。少し上の方には三日月と金星が輝き始めている。

今回の仕事は、この街にどのくらい意味あるものなのか。この街でうまく立ち回り、目的を達成するのに不可欠な要素はなにか。仕事を優先し住む場所を変えるということに、どれだけの妥当性があるのだろう。旅先での開放感からか、或いは滲む街灯りのせいか、Nの考えはさまざまに巡った。

 

空港ではすでに搭乗手続きが始まっていた。Nは今日の報告を含めて二、三の電話をかけた後、出発ゲートに向かった。

 

窓際の席に座る。南国から来た子供だろう、通路を挟んで斜め前の席から笑いかけている。飛行機はゆっくりと滑走路の端にたどり着く。もう一度あたりを見回した客室乗務員が専用シートに着くと、まもなくジェットエンジンの強い加速が伝わってきた。滑走路を走る機体は徐々に仰角を大きくし、やがてためらいなく離陸した。

 

「・・・そうか、確かに彼女も・・・」

確かに彼女もこの街の一部であり、少なくとも今日俺は、この街に受け入れられたのだろう。Nはシートにもたれたまま考えた。

 

上昇を続ける飛行機は、翼を徐々に傾け始めた。窓の下方に浮かぶ空港がゆっくりと旋回しながら小さくなってゆく。繁華街のビル、港、鉄道、高速道路。次々と視界に集まる光の造形は、やがて都市そのものの輪郭を表していく。Nは窓の景色を眺めるのをやめ、なにかもう一言つぶやいてから、手元の書類を読み始めた。

街は、彼を見送るかのように、いつまでもその輝きを変えなかった。

 

4月7日 

もしあなたが、今の人間関係に少しお疲れ気味ならば、誰にも断りを入れず、那珂川の河畔を半日ほど歩いてみることをお勧めする。この時期は桜が咲き誇り、薄日がかった花明かりと南風のほのかな香りが、この列島に住む固有種としてのあなたを、歪みのない本来の姿に戻してくれるだろう。

今日はその那珂川に棲む、おそらくあなたを奇妙な隣人程度には認めてくれているだろう、身近な鳥たちについてです。

 

このページの背景にしているのは、中洲の一番下流側にあるポンプ場にいた蒼鷺である。彼らは、競艇場周辺、中洲丸源ビル屋上、春吉橋下、美野島堰付近に翼を休めているのをよく見かける。グライダーのように翼を固定して飛行する姿、瓦屋根から水面を凝視している姿はまさに壮観で、その下でタバコの吸殻を捨てながら這い回る生物が、自分と同じ種であることが恥ずかしくなるぐらい、気品があり知性的である。春から夏にかけては数羽を見る程度だが9月下旬から11月くらいになると、引き潮の浅瀬や丸源ビル屋上に20〜30羽の大群を作っている。

私は幸運にも、彼らが水中に潜る姿も、堰の上で羽根の内側を陽に当てている姿も、浅瀬で脚を引っ掛けてコケた姿も見ている。松下電工近くの洲の真ん中で、彼らの1羽が直立すれば、ビビったガチョウの夫婦がガアガア喧しくなきながら水上に逃げていった。

今では彼らのうち3個体は特定できる。中でも「ダルメシアン」と名づけた奴はとてもキザで、餌を採る姿はめったに見せず、しょっちゅう、羽づくろいばかりしている。体色のコントラストは一番鮮明で、目から後頭に伸びる黒い帯線や、羽先の黒い模様などは目を奪われる。胸元から首にかけて、黒い斑模様があるから見分けやすい。これが名前の由来である。その上奴は、白い小鷺と一緒にいることが多く、彼女(もう、強引に決め付け)に近づいてくる仲間を勇猛に追い払うのも日課としているらしい。キザといいながらも、実はちょっとうらやましかったりもする。

那珂川の生態系では鳶より大きく、これと言った天敵もいない。人間ごときが差し出す餌にも無関心である。つまり、悠々自適で那珂川の生活を楽しんでいるようだ。

 

「翡翠」と書いて「カワセミ」と読む。その鮮やかな体色は、渓流のような速い流れと、低木の枝から伸びる新緑の若葉の組み合わせをイメージさせる。キャナル前の博多川で見た、と何回話しても、料理屋のオヤジは薄笑いを隠さない。清流公園の石垣から、鰡(ボラ)の子が泳ぐのをしばらく見つめていた。陽を浴びて羽ばたいたその一瞬に、極上の輝きで私を魅せてくれた。水中ダイブで狩をするために作られた小さな姿は、道を究めた職人にも似て、どこか飄々としている。隣町の那珂川町では町の鳥なのだ。福岡市で出会ってもおかしくはない。

今からの季節、美野島あたりまで上ると橋桁から真下の水面を睨んでいる姿を見ることが出来る。竹下駅近くの「ひよこ製菓」横の橋付近では、獲物を狙って空中浮揚している「山翡翠」ヤマセミも見かけた。蛇足だが、「山翡翠」(黒木本店)はさわやかな飲み口の米焼酎だ。これをカンパチの炙りなどでいただくと、鼻腔に残るバニラにも似た淡い香りを楽しむことが出来る。ラベルの絵もかわいいので女性がらみの席には重宝する。

 

飛ぶことに最も情熱を持ち、実際に最も達者な鳥はツバメだろう。いまこうして書いている時間も、彼らは食べることも後回しで、空中で睡眠をとりながら、ひたすらに南シナ海を渡っている。あと1ヶ月もしない間に、颯爽と空を飛び回る姿を見ることが出来ると思うと楽しみだ。リチャード・バックの描いたカモメのジョナサンも、飛ぶことに夢中になった鳥だけれど、肝心の最後のほうで我々読者を置いて彼方の世界まで飛んでいってしまった。

ツバメは現実の空を飛ぶ。目にも追えない曲芸飛行で虫を捕らえ、滑空のハイスピードは、ごみ捨て場のカラスをも唸らせる。水面の数ミリ上を飛びながら水を飲むことだって出来る。佐々木小次郎が飛んでいるツバメを切り落としたなんて大嘘だ。吉川英治だって本気にはしていなかったろう。五月の空で、彼らを追尾できる生き物など、この世に存在しない。

頭とのど元が赤いものとそうでないものとの2種類がある。よく見ると、尾羽に白い斑点があったり、白黒の境界がはっきりしていなかったりと、個体ごとにさまざまな特徴がみてとれる。私が見習いたいのはむしろその旺盛な繁殖欲である。ひと夏に2回は繁殖し、そのたびに巣場所をかえるそうだ。

 

川鵜は明らかに変わった風貌だ。鳴き声なんかきいたことない。一見黒い体色は、乾くと綺麗な虹色の艶を出すのに、なぜかいつもびしょ濡れのままだ。だって水に入っているときに、いつも頭だけしか出してないもの。どうせ潜ればずぶ濡れになるのだから、カモみたいに手間隙かけて羽つくろいしてまで水に浮くことはない、ぐらいに考えているのだろうか。晴れた日に川の真ん中に浮いた岩の上で、翼をだらっと広げて干してるだけである。素肌にコートを羽織った変態が、女子高生に一物を見せ付ける姿を連想するのは私だけではないと思う。

柳橋から春吉橋のあいだに一組のつがいがよく潜っている。夫婦仲良く一緒に仕事、と言うのはうらやましいところですね。

 

季節が違えば、もっと色々な鳥を見つけることが出来る。

彼らは、だらしなく食べ続けて肥満になることは無い。浅はかな金銭欲のために心まで金に換えてしまうことも無い。大嘘をついてウイルスをばら撒くことも無ければ、ひ弱な絶望感から自殺することも無い。

自分について天分をわきまえている、尊敬すべき生命体なのです。

 

11月25日(12月1日改訂) 

人間は対称の下に帰属意識を持つ。

繊細である私たち人間は、物事を相対的に捉えてしまいやすく、無意識にいつも対称(対立)構造を求め、どこかに帰属したいという願望を抑えきれないものである。この“魂の揺らぎ”ともいえる甘い認識が、耐えることが嫌いな民衆を一時的に扇動し、リーダーの統率に大きな誤りを含ませる場合も少なくない。ブッシュは「テロとの戦争」といった。しかしながら、アメリカが先制攻撃したのは、アフガニスタンやイラクという「国家」であった。その結果、領土も人民も持たないテロリスト達には効果はなく、人道的な被害だけが上積みされる戦後統治を、米国民を含む世界中から非難されながら、継続せざるを得ないことになった。ブッシュは、国家と非対称なテロリリズムを合衆国の敵だとする虚構を創り出し、人民は両者の非対称性に気づき、テロリストと戦うアメリカ人という帰属意識を持つことはできないでいる。そもそもテロリズムとは、米国の独善的な振る舞いが生み出した副産物であるのに。「我々につくのか、テロリストにつくのか?」というハリウッド映画さながらのあのセリフは、彼らの混乱した世界観を表したように聞こえた。

 翻って思えば、我々ほど他の独立国と比べ卑屈にまで非対称であり続けた国も珍しい。外国人の草案をそのまま半世紀以上も国の憲法として奉る。三権分立といいながら立法と行政を官僚が独占している。世界有数の軍事力は保有しているものの、軍隊は存在しないそうだ。世界中の国々に円を貸しまくり、利子だけでも国民全員が裕福な生活をしていけるはずなのに、失業率、自殺率は世界トップだ。国連の運営資金の2割も負担しているにもかかわらず、愛国者面・独善者面する白人の、かっこつけだけの発言を真に受ける。と、挙げればきりがない。このような、他の独立国とはまともに向き合わない卑屈な非対称さが「米国の51番目の州でよい」「我々は地球市民だ」「神道は危険な国家思想だ」などと虚無で幼稚な愚民意識を煽ることになったと思う。この悪循環は、事あるごとに識者に指摘されながらも、形を変え名前を変え繰り返されてきた。我々は、卑屈さを改めることよりも、卑屈さを認めることを選択し、逃げ続けたという見方もできる。

しかし今回だけは、逃れようがないというのが大方の見方ではないか。目の前にはっきりと突きつけられた課題に、今まで通りの卑屈さで切り抜ける道はない。

北朝鮮に女性5人を拉致されたレバノンは、まず生還した2人を英雄扱いし「残った3人を返さないなら、政府としてあらゆる手段を講じて取り戻す」と言い切り5人全員を無事奪還した。あらゆる手段とは当然、経済制裁や宣戦布告も含まれる。あの小国レバノンがこの覚悟である。もう、従来の卑屈さでは乗り切ることはできない。国民の生命と安全を守るという、他の主権国家であれば当然のように備えている、最低条件を賭けているのだから。

 地政学上、最も大きな対称単位、それは国際社会であろう。そして個人が帰属意識を持ち得る、最も大きな単位、それが国家であろう。「国境はいらない」「地球政府を」などと現実から乖離した価値観で、お調子者よろしくお騒がせした例の小政党が、現にお寒い限りの結末に至っていることは、今の時代に人類が何を機軸として生きるべきかを暗喩しているのではないだろうか。米国がイラクを攻撃した時点で日本の派兵は避けられなくなった。しかしながら、人道的見地とか国際貢献といった、他の主権国家では通用しない幻想のために、日本人が中東の砂漠で命を賭ける理由はない。アメリカが独善的に押し付ける理不尽な「自由」「民主主義」により世界が均質化してしまわないように。民族の多様性が人類の豊かさを生み出せるように。結果その世界で、日本人も繁栄できるように。そんな日本国独自の崇高な理念や世界観があるはずだ。政府の代表として政治家を中心とした派遣団で向かうべきではないか。自衛隊派遣ばかりを表に取り上げてこだわっていれば議論は空回りするばかりだ。イラクの安定と復興には政治が必要だ。これを守るために自衛隊が付帯する、というかたちの方が自然だ。日本は武力を出すこと自体を目的としない。現地のインフラ・政治・教育・医療などを支援することが目的なのだ。これらを最もわかりやすく伝えるには、他国と同じように軍隊を出す出さないという次元で物事を捉えるのではなく、目的を達成するために考えられる最良の姿をとるべきだ。

私は、国策という大義を背負って船出する同期の友人を、日章旗をもって送り出してやりたい。

 我々は他国との対称の下に日本人意識を持つ。

 

5月14日 

大気圏外に幾つものロケットが発射される現代でもなお、この地球の質量は保存されているといっていい。人間が意識するときにだけ存在することができる超粒子が理論的に証明されようとも、この地球の総量子は一定普遍であるといえるだろう。物理化学レベルでは、地球誕生から原子の総数比率は変わっておらず、大地も海洋も、原始生物も哺乳類も、地球のごく一部分に過ぎず、その特性を決定するものは、構成している元素の組み合わせと比率の違いでしかない。例えば、我々の身体を構成している炭素原子は、かつては楠の巨木であったし、かつてはジェット気流にのる炭酸ガスであったし、かつては源義経の口髭でもあっただろう。いま私たちが自分自身だと思い込んでいるこの肉体は、地球という素材センターからの借り物に過ぎず、遅かれ早かれ元に返すことになる。だとすれば、存在、特に、意識を持った人間という存在は、限りある物質や形状で成り立つものではなく、心や魂といった概念なしでは到底、説明も包含もすることはできない。

しかしながら、モノやカネだけに執着しているがために、なんと貧しく哀れな日々を送っている輩の多いことか。以前「それでは魂とは何だ?」という、学識者としてはかなりお粗末な問答に引き込もうとした馬鹿な大学教授がいたが、「世の中を歪ませて生成した禄を食み、本分を忘れた君こそが醜い魂というものだ」と私から返され、顔を真っ赤にして黙りこくってしまった。別の話で、一組の男女が私に近づき、あるはずもない弱みを見つけた気になってカネを巻き上げようと躍起になった。しかも自分達の知能の低さを露呈しながらである。ばかばかしくて暇つぶしの相手にもならない。女は風俗を渡り歩いた末に食いっぱぐれた、男は女の持ってきたデタラメなネタで楽にカネが手に入ると思った、そんなところだろう。今二人は、自分達の扱われ方を自分達で決めることができないという、不安で惨めな日々を過ごしている。そんなこんなも全て彼等がモノやカネだけに執着してしまったからであり、自分で自分の価値をモノやカネ以下に落としてしまった顛末である。

 我々の持っている唯一無二の特性を犠牲にしてまで、既存にある枠組みに収まるつもりはない。missionは今も、そしてこれからも、風俗誌やスポーツ新聞に広告を出すつもりはありません。商売を支えてくれるのは常連のお客様、広げてくれるのは口コミであると信じているからです。全ては、私に価値や魅力がないと何も始まらない。良い娘さんが信じて来てくれるのも、良いお客様が常連になってくれるのも。皆さんは、雑誌の営業広告費が、特に風俗ともなれば、単位面積あたり銀座の一等地以上の高額料金になることをご存知だろうか。面積の経済効率だけで考えると天神にあるビルを買って経営した方が得な話だろう。紙の上に仕切り線を入れ切り売りする広告会社に、言い値で毎月お金を納める。広告の効果の保証はなにもない。来月も広告を出そうとするならば、自社で儲けるしかない。もしこのような状態であれば自律とはかけ離れたものであり、単なる広告社の下請けに近い。と、挑発的な私などは考えるが、実際、他のお店の話などは知る由もない。何軒かの雑誌社や広告会社にあたってみたが、なかなかその気にさせてはくれなかった。現れるのはだいたい(決済権限のない)外回りの若手。中にはご多忙の中、社長自ら出向かれた奇特な社もあったが。通り一遍の価格表を説明した後は、リクルート用はフリーダイアルがよろしいだの、受付電話の応対はこのようにするのがよろしいだの、およそこちらが思いもしていないような“コンサルタント”をしてくれる。その程度の話を有難く聞くような、それほどまでの店もあるのだろうかと勘繰るつもりはないが、本分をまっとうしてくれる広告会社を探しているこちらにとっては話の筋が違いすぎる。業種業態に限らず一般的に言えることだが、売り手にとって広告とは直接利益を生み出すものではなく、商売をしやすくするための評判を得る道具でしかない。売り手の魅力を創るのは売り手自身であり、外から受動的に手に入れるものではない。まして、電話の応対云々などは上っ面の話、枝葉の話であり、今ある売り手の価値が表面化、具体化しただけのものだ。それをアドバイスだなどと言うのは、筋も違えば本末も逆さまな話である。

 存在が、時間や空間に制限されないものであるとわかっている人には、自分にある無限の可能性を感じることもできるだろう。商才達は口を揃えて、カネやモノに執着しないことが、皮肉にも物質的に豊かになる方法なのだと諭す。価値、魅力というものは、意識はできるが表現することはできない。磨き高めることはできるが外部に移すことはできない。これは商売だけの小さな話ではない。順調なときも、困難なときも、存在する限り忘れてはならないことだと思う。

 

5月11日 

 街は桜の花に埋まり、お城だけが湾の上から私を見つめていました。唐津神社は前の日と同じように住吉三神をたたえ、やがて来るハレの秋季例大祭(くんち)を然として待っているのです。虹の松原も、桜並木の国道も、柔らかな光を抱き私に傍らでの眠りを誘うかのように、ゆったりとやさしい波動を伝えてくるのでした。殺伐とした仕事の話などしたくはない、しばらくここで暮らし、この街に溶け込んだ自分の姿を見つめたい、そんな気持ちにさせるのです。正直にいうと太郎右衛門には、今もあるはずの芸術的情念をあまり感じられませんでした。唐津城の天守閣は、隣の火力発電所の無表情に高い煙突で、その崇高さが薄れ気味だった。けれども福岡への帰り道、夕日が沈む宙(そら)に心はしばし留まりました。

どうかこの街が今の魅力を失わず、しばらくの間、ときどき訪れようとしているこの私を包み込んでくれるようにと。

 

3月22日 

 

仮面を剥け、世界の英知よ。黄昏の舞踏会は終わった。

歴史の中では、所詮、人命などは小さな価値に過ぎない。

仲良しの円卓会議も、歴史観の比べ合いも、出来合いの過程に過ぎなかった。

意固地な独裁者は、人民を質にした危険な遊戯を止めようとしない。

貴族ぶったフレンチは、利権惜しさの腹の内を見事に隠し込んだ。

神経質な大男は、自分の家も焼き尽くすことには無頓着だ。

そして光を無くした国。一切の記憶を消して居場所の確保に奔走する。

 

泣き喚け、浮かれ者よ。君らに何も変えることはできない。

自分の生きる道を忘れ、うすっぺらなポーズだけを身に纏え。

反戦デモの後は、復興したバグダッドに観光旅行か?

平和を声高に叫び、どれだけ人目を惹ける見込みか。

君の欲のためには、戦争が不可欠なことを知っているのか。

正しい戦争はないというが、正しい自分はどこに在るのか。

ヒトは、肉を食べながら、屠られる子牛のことは考えないだろう。

 

人類の為し得る全てのことは、我々個人にも内包されている。

ひとつでも否定すれば、全てが崩れ消え去っていく。

現実を相手に、人間が闘える唯一の道は、自分自身に求めることだ。

 

 

3月16日 

 まだ一度も行ったことがない街を散策するのが好きです。これから、桜の開花にあわせて唐津にいきます。ある人物に会わなければならないし、福岡からも近いし。最近、私の周りで次々と起こる不思議な出来事や、年が明けて以来の少しだけ揺れる自分の気持ちとのつながりがありそうですが、上手く書き表すことができません。ただ、あまり頼りにならない私の予感が、気まぐれに浮かれているだけかも知れない。 

唐津。地図からは松浦川の独立した水系と見ることができます。地域独特の自然が見つかりそうだ。福岡から50km西側だから、大陸(唐)まで50km近いということだ。昔の渡航は命がけだったから、できるだけ陸路で距離を稼げる唐津が選ばれたのは頷けます。多くの日本人が大陸に渡るとき、あるいは外国人が大陸・半島から上陸するとき、唐津湾は、鏡山は、彼らの瞳にどのように映ったのでしょうか。そのまま西方貿易の中心的な港とならなかったのは、都市用地の少なさと航海術の発達、筑紫野に直通する博多湾の発展、などがあったからでしょう。太宰府の建設も大きいと思います。

虹の松原は松浦川の砂州に横たわっている。唐津市のホームページには「約400年前、唐津初代藩主の寺沢志摩守広高が防風防潮のため植えさせたもの・・・と伝えられています。」とあるが、それだけではあるまい。松浦川を挟んで西には、半島の上に唐津城(舞鶴城)がある。松浦川は河口付近で大きく西へ流れを変え、城のそばまで流れて海に通じている。唐津城は松浦川を天然のお堀としているのです。それには虹の松原が消滅してしまってはならない。城の防御のためには堀の水を運ぶ砂州の保存は不可欠だったと思う。もうひとつは、季節を問わず保つ松林の濃い緑。天守閣からは壮観であろう。権力者が心を静めるための、景観の目的もあったと捉える方が自然だ。唐津市の地図

イアン・フレミングの小説「YOU ONLY LIVE TWICE」(邦題:007は二度死ぬ)のクライマクスは、唐津城がモデルになったのだと思っています。小説では、東京から福岡に移動したジェームス・ボンドが、毒草やピラニア、毒蛇などを収集している城に忍び込み、恐怖や格闘で記憶を失いながらも、宿敵ブロフェルドを殺して脱出する。ハリウッドが映画化すれば派手で女子供受けの良いヒーローになりますが、原作の007は非常に人間的だ。舞台として描かれた城は、湾に突き出た半島のほとんどの面積を占め、海から直接石垣がそびえているが、そのあたりが地図や写真から見た唐津城に符合するのです。フレミングが来日し取材したことははっきりしているが、唐津城まで来たかどうかはわからない。案外、唐津焼や魚料理欲しさにちょっと脚を伸ばした街で、思いもよらず小説の素材を見つけて嬉しがったのかも知れない。もちろん私は「舞鶴城」自体にも興味があるが、行政の書く無味乾燥の解説文の読み歩きをするくらいならば、こんな視点を持って廻った方が面白い。直接自分の目で確かめればわかることだ。

故ジャック・マイヨール氏が素潜り中に初めてイルカに遭遇したのは、唐津の海だったそうです。10歳のジャックは七ツ釜でイセエビやアワビを採っていたという。大人になった彼はフリーダイビングで、深々度の潜水中にブラッド・シフトという、水生哺乳類にしか見られない血流順応を経験した最初の人類になった。イルカから泳ぎを学び、未知の領域に踏み込んだ彼が、晩年にスイスの自宅で思い出したのは、唐津の青い海だったのだろうか。七ツ釜まで行けるかどうかわかりませんが、海を眺めて気に入ったら、今年の夏にも潜りに行こう。スナメリ程度の小型のイルカでもいいから一度は遭遇してみたい気もする。でもそのときにはサメと間違えてパニックになるのではないだろうか。

ついでにもうひとつ、余分な話をしましょう。最近よく、天神交差点付近で唐津行きの高速バスを見る。微妙なセンス、緑色の車体です。側面に「福岡⇔唐津」とあり、唐津の文字の下には末盧(マツロ)国、福岡の文字の下には奴国とある。文字を持つ文明の方が優れた文明だと決め付けるのは間違いです。二つの名前とも、日本語にまだ発音に対応する文字が確定していなかった時代に、発音だけを聞いた漢人が当て字したものだ。中華思想にドブ漬けになった国が、彼らにとっては東夷の国である日本に、まともな字をあてる訳がない。福岡にいたっては奴(ヤッコ)の国なのですよ、皆さん。こんなものをわざわざ街中を走るバスに大きく書く感性とはいったい何なのでしょうか???個人であれば額に「奴隷」と書いているようなものだ。SM好きのカップルならそれで満足かもしれないけれど。「卑弥呼」という当て字や志賀島の金印に刻まれている文字と全く同じ構図だろうと思う。日本人はもともと言語、特に漢字に対して安易に迎合的です。漢字を使えば機智があると思い込みやすい。漢字を取り入れることで、多彩で繊細な表現力・伝達力を身につけたのですが、反面そのために、屈辱的な漢字を当てられてもそのまま使ってしまう。「暗喩による刷り込み」「無意識の自信喪失」に冒され易いといってもいい。これは今のところ、当て字をした当の衆ですら、びっくりするほど効果的で厄介な病になっている。これについてはまた後日にでも書きたいと思います。

最後の話は別にして、こんな風に訪れる前から想いが巡るのは、いい旅になる前触れでしょうか。帰ったら事後編を書くつもりです。

 

12月13日 

福岡市の十二月定例議会で「ピンクちらし根絶条例案」と「(歩きタバコなどを規制する)モラル・マナー条例案」が議員提案された(3/1から成立施行中http://www.city.fukuoka.jp/)。二つの案は、条例としては皆が思っているよりも早く制定されるだろう。都市から利便性を得ている者が都市への責務を負うという考え方が、多くの人々の先天的な欲求として認識されつつある循環型社会、持続可能な社会の形成に必要な理念と符合するからだと思う。都市をかたち造るものは、道路や建物、空港や地下鉄などといった類と、そこで活動する人間の考え方・精神とがあるだろう。むしろ今足りないものは後者の方であることははっきりしている。いまだに経団連や製鉄最大手の役員室に椅子を用意させながら、一番肝心な時に委員長辞任という冷やし玉に化けてしまう気の弱い老人に失望したところで、我々の舞台である文化都市の未来を拓けることは出来る筈もない。「都市に暮らす人間の最低限のルールを決め皆が守る決意の表れ」と山崎市長はコメントしている。その決意を貫くためには、意外に多岐に渡る問題や抵抗を辛抱強く根から潰していく作業が必要になるだろう。

 我々は最初から営業ちらしなど使ったことはない。だからちらしに関わる詳しいことも知らない。ただ那珂川の岸辺から時間を追って街中を眺めているとよくわかる。昼過ぎからちらしを貼り付ける側が一斉に動き出し、数時間後それを追うようにちらしを剥がしていく側が動きだす。翌朝には川辺りを走る尾長セキレイでさえ、足の踏み場が無いくらいの有様だ。それがいたるところで、毎日繰り返されている。貼り付ける側は、頼まれた仕事をしているだけで淡々と作業する。油断すると欄干にもたれている私の腕や背中にまで貼り付けるのではないかと感じるくらい手際がいい。それを剥がす側も無意識なものだ。自分の街の街路樹やガードレールがピンクちらしだらけ、歩道は吸殻だらけの状態に無関心でいられる人などいはしまい。あえて冷静にみればこの観察テーマは、学生時代に行った心理学の実験よりも興味深くて奥が深そうだ。

 ピンクちらしの場合、需要が全ての始まりだ。広く浅く露出を繰り返すということを期待するのだろうが、あれでどのくらいのお客さんが期待できるのですかね?電話番号とデザイン以外は全て同じ、写真の女の子はお店とは関係なし。まだ誰もやっていなかった時代には効果があったろう。最近では、トイレットペーパーですら香りや絵柄で差別化を図っているのに。挙句には一晩ですぐに剥がされてしまう。私などは、ご指名の女性と予定が合わないと「あっそ、じゃまたね」という、志向性の強い方ばかりにご贔屓して頂いているので見当もつかないのです。違いがなさそうなところに違いを見つけることを楽しむお客さんもいるのだろうか?確かにそれは分からないでもない。あるいは客の入りが勝負と考えていれば、一旦出した広告を止めることはなかなか勇気が要ることなのだろうか。経営条件から止めたくても止める決心がつかない店もあるかもしれない。そうだとすれば、我々は既存の概念にあてはまらない新しいビジネスモデルを持っていることになる。MISSIONアカデミーなど創設してBtoBに展開するか?・・・などとぼんやり考えたひにゃ、自分の発想の貧しさ甘さに改めて落胆した。費用対効果へのものの考え方が商売の姿勢を表すのだと見栄をきれば、今から6世紀さかのぼって、博多を世界トップの貿易都市に押し上げた謎の快僧、宗金さんから「そんなものあたりまえだ」と逆に叱り飛ばされるだろう。

 私は喫煙しませんからタバコには無責任に厳しくなる。歩きタバコ自体はいいのではないかという気もするが、吸殻のポイ捨てにつながるようでは街は散らかるばかりだ。片付けるにも税金が要るかも知れない。捨てタバコの毒性が土壌や川の生態系で濃縮される恐怖も過少評価されている。もう都市部でのポイ捨てはりっぱな社会問題だ。きれいなパッケージで製品化された低エントロピー高エネルギーのタバコが、ポイ捨てを憚らないような高エントロピー低エネルギーの人間を生成してしまうとすれば、その流れを地域社会の総意でもって断ち切ることは必要なことだと思う。「個人のモラルに属することを条例で規定すべきでない」という、なにか意図的に曲解した意見があるようだが、では赤い旗の下のモラルとはどんなものなのか教えて欲しいですね。

二案が成立すれば、ちらしや吸殻は一旦は激減するかもしれない。これで川辺りのセキレイも少しは気持ちよく走れることになりそうだ。気になるのは二つの条例が、どの程度遡った予防策を含めることができるかだ。ちらしに載る店と貼り付ける者だけを規制しても、印刷製造が続けられるとすればあまり効果はない。店の電話番号や貼り付け作業(場所・時間)は極めてフットルースで追跡さえ難しいだろうから。禁煙ゾーンを定めてもそこでのタバコの販売はまた別の権利だ、などとなれば極めてあやふやで不十分だ。

ついでにこの際、混雑している地下街で私のつま先の上にまでベビーカーを押し通すような、心得ない母親を教育する条例案や、自分達の非を突かれても「私達はとっても哀れな弱者なの」と、こちらまで加害者に仕立てようとする、ルサンチマンにまみれた偽市民団体を解散させる条例案なども、議論のネタにしてくれたらなあと思うこの頃です。

 

10月27日 

さて今日は北斎から語りますか。

世の中には彼と彼の作品について書かれたものは外国を含めいくらでもあります。私独自の視点が伝わりやすい作品一点に限り書き出してみます。

 左は有名な連作「富嶽三十六景」の「甲州三坂水面」です。私はこの作品のためにずいぶんと想いを巡らせ心地よい疲労感すら感じたこともありました。

季節は夏、山肌険しい富士山を背景に草木深い湖畔の集落に自然と調和し生きる平和と豊かさが伝わる。風景のひとときをとらえ、その趣をいかに画像として反映させるか。このような絵画芸術を語るとき、わざわざ外国の作品を持ち出すまでもない。と、ここまではありがちな鑑賞ですが、すぐに我々は北斎が設けた決定的な精神世界への入り口、湖面に映った富士山と実の富士山が異なる姿をしていることに気付くのです。湖面に映った富士山は冠雪しており、日本人であれば必ずイメージできる、観念的で最も美しいといわれる姿をしています。しかもこの風景を見る視点からはありえない位置に映っているではありませんか。単なる構図の間違いか?未完成の作品か?・・・そんなことはない。生れてすぐにものの姿を写しはじめ、フランス印象派を結果的にだが大いに挑発し、終生情熱を持って描き続けた世界史の中でも屈指の画才であります。連作の中の一作品にそういう単純な手抜きをすることはまず考え難い。では彼はどのような意図あるいは感性をもってこの作品を描いたのでしょうか。私は、風景を忠実に写実しただけでは何かが伝わらない、そう考えた北斎が試みた視覚的世界からの超越が、この水面に映る富士山像だと思います。例えば東海道新幹線の窓から富士山をみる。頭の中には既に期待する理想の富士山像を浮かべ現実をみる。季節は夏で冠雪していない。ああ、でもこんな富士もいいなあと考える。裾野の樹海は力強い緑です。そして次には是非、あの綺麗な富士の姿も見たいと思う。このような心理は確かに我々にもあり、当時の日本人にもあったと思います。それを北斎は見事に察し現してくれているのではないでしょうか。例えば、あと幾日、幾雨くれば一年の内で一番美しい姿の富士山が眺められるだろう、と小船の船頭は櫓をこぎながら考えているのかも知れない。例えば、富士山がその姿になれば収穫の時を迎え冬支度も必要な、忙しくも喜び溢れる季節が到来することを楽しみにしている家々の住人がいるのかもしれない。そんな集落全体の安楽に満ちた富士山への憧れが、象徴となり水面に映し出されているにちがいない。どこまでもしなやかに、どこまでも明るく、生き抜く村の力強さがそこにはある。そう考えると藁葺きの屋根にも杜の木々にも、見事な生命を観てとれるから不思議ですね。住む土地の自然を畏れ調和することで豊かさに満ち溢れた暮らしをする。これは砂漠の民や雪原の民には理解も実感もできない、これこそが山岳と森林の民の豊かな精神世界、この列島に生き抜く日本人の醍醐味でなくして何でありましょうか。北斎はそれを、非常識で非現実的な描写にもかかわらず、決して破壊的にも暴力的にもならずに、何の外連味もなく穏やかに作品として収斂させている。まるで物言わぬ師となり、導いてくれているような感覚になったものです。

北斎は今から約240年前、1760年宝暦十年に生れ90歳で没しています。「富嶽三十六景」を出したのは、70歳を越えた「為一」時代だから約170年前の作品ということになる。私は義務教育で、日本人は明治以降、鎖国を解き欧米に追いつき追い越せで進歩してきたと教わった。当時の教育者の、私に対する評価も悪いものでは無かった。しかし今、170年前の一人の老人の描いた絵を観て、ここまで精神的に圧倒されるとはどういうことなのだろうか。古くは大陸・朝鮮半島、近代は西洋からの、政治や経済、物質や技術を中心とした輸入品は、確かに私たちを進歩させてきたのだろう。それは日本の文明が劣っていたからというとんでもない誤解を未だにしている人がいる。物質や手法など今までに無かったものを海外から取り寄せたに過ぎない。同じ理屈での出来事は、相手国にも日本からの輸出品により起こっているのです。私が望まない拙い議論を仕掛け、結局恥をかいて退散する破目になるくらいであれば、いい加減に、無知な自分、感覚にバランスを欠いた自分を悟ったらどうだ。精神と自信をもてない日本人が溢れているという。たった今もテレビでは、シケた顔つきのニュースキャスターが、いかにも肝臓を患っていそうな白人の話す一方的な日本人野蛮論を有難がるように聞いていた。その丸めた背中には、謙虚さからはかけ離れた卑屈さすら見てとれる。最も忌み嫌うべきことは、自分が劣っている、価値が無いと決め付けることで、その後の全ての精神的活動を一切放棄する生き方が、少なからず世の中に漂うことではないだろうか。精神的に発達する自分を実感できることよりも、少しばかりの思考や行動をサボっている方が居心地がいいという訳だ。

福沢諭吉が「文明論之概略」で背筋を伸ばして言っているように、文明の尺度とは精神の発達度合いであるならば、日本人はかなり昔から独自の成熟した文明を持っていると言えるのではないでしょうか。そして確かに、同時代のいかなる外国、地域よりも卓越していた瞬間が幾度もあったのです。私達も確実にその連続性の中に生み出され、その一部となっていることは間違いありません。だから例えば、北斎が自分を遥かに越えた精神であるとわかればわかるほど、傍を離れず微塵でもいいから自分なりに受け継いでいけるものを見つけようとする。このことが理屈抜きで楽しいのです。彼は、私がその気になれば、いつでも、どこまででも付き合って応えてくれるようです。

 

<参考文献> 信州・小布施 北斎館(WEBサイト) 錦絵(WEBサイト) 「国民の歴史」西尾幹二著;産経新聞社

 

8月27日 

 ありがたいことに、私の周りは人間味溢れた職人や玄人でいっぱいです。何がプロで何が玄人なのか。そんなややこしい入り口は避けて、いくつか書いてみます。

 私の父方の祖父は船大工でした。そういえば実家の物置小屋はそれらしき大工道具でいっぱいです。中学校の技術の時間でも「木工セット」を買わされずにすみました。話ベタな親父から得る断片的な情報から推察すると、どうやら日本海側の港みなとで貨物船を修理して廻っていたようだ。汎用の道具は持参するが、行く先々ではまず船に必要な道具つくりから仕事が始まると聞いた。その構造や力学を考えても「柱で支えて屋根で押さえる」家大工と「船底で浮かび弦で支える」船大工では原理も技術も違うはずだ。木造海運発展の時代を背景に大活躍したそうだが、鉄鋼造船にとって変わられるにつれ小さな漁船の修理程度しか仕事が無くなり、自分の腕を買ってくれる石油会社に入社したらしい。私のもの憶えが始まった頃には既に引退していたので仕事をしている姿は見たことが無い。関東大震災の時には三日がかりで現地に馳せ、トタン屋根と焦げた角材で小屋を造りまくったと聞いた。被災された方にはいい難い話だが、結果的に大儲けになったようだ。中学時代、真新しくのぺっとした形の道具を持つ皆を横目に、七福神や風神雷神がのった鉋(かんな)や鋸を使うのはかなり勇気が要ったが、例によって風変わりに見られるのも嫌いではなく、祖父との繋がりは逆に強く感じることができた。火葬場で悲しみのあまりに酔っ払い、怒鳴り散らした父親の姿は長い間の心の歪みでしたが、ノミ一本捨てようとしない今の親父を見ると素直に話し合える思い出に変わってしまった。祖父のした仕事が知れるならいつか詳しく調べたい。きっといい船大工、職人だったと思う。

 もともと虫歯になり易いのでどこに住んでも良い歯医者探しから生活が始まる。今の先生は、私よりも年下だが、とても丁寧な仕事をしてくれる。患者に手鏡を持たせ説明してくれるのだが、自分で熱くなりそのまま治療の理論まで説明してくれることもある。笑うと目立つ歯に白いセラミクスをかぶせて「ここまで保険でやるのは他にありません」と、頑張る自身を密かに嬉しがっている。診察台がいくつかの小部屋に分かれているが、端の部屋から反対端の部屋の看護婦(歯科衛生士)さんが出す引き出しの音を聞いて「そこではありません。」と注意している。その看護婦さんが言うには、先生の頭の中にはここの診察所が丸ごと入っていて「患者のあなたも看護婦のワタシも」彼の頭の中にあるらしい。ついでに彼女の個人的な話を聞こうとしたが「先生の頭の中では無駄話はできません」と軽くあしらわれました。毎日毎日入れ替わり立ち代り、来る患者の口に手を突っ込んで、時間に追われ治療に気を使い、事故や患者とのトラブルについてのリスクも背負っている。無能ゆえに貧しい輩からは、陰湿に妬まれることもある。審美歯科が急に増えるなど歯医者の規範すら迷走し始めた時代でも、虫歯一本に向かってくれている彼には本当に頭が下がります。別の話として恋子さんから、廃業する歯医者が増え続けているという現状を聞かされればなおさらです。診察台から降りるとき「どうもお世話になりました」と礼をいうときはもう隣の部屋です。その背中に、ただ、ただ、「体に気をつけて」とつぶやく私です。

 屋台の「呑龍」もいい。福岡に住みはじめた当初、数件の老舗屋台が「ラーメンなら呑龍」と声を合わせたので知りました。春吉橋周辺に屋台が集まり出した頃からラーメンを作り続けて30年を越えるそうです。先月のことですが、知人の奥さんと、知り合いの若い女性が福岡に遊びに来ました。一通り案内した後、若い女性の希望で全国でも有名なラーメン店に行こうかという話になった。あまり気に入る店ではなかったので「どうせならディープな屋台を」と案内しました。私よりも速くスープまで飲み干した彼女の背中は、汗で白いブラウスがぴったりと張り付いていました。屋台にして良かった、呑龍に来て良かったと感激していた。もちろん、那珂川の静かな水面や春吉橋の欄干や滲む白熱灯の光も、彼女の気分を溶かすのに役立ったのでしょうが。そんな彼女の前でも、親父さんとお母さんはいつもと同じように働いていました。親父さんは、焼き鳥こそ隅の七輪の前にしゃがみ退屈そうに焼いているが、ラーメンのときは屋台中央に背筋を伸ばし堂々としています。ドンブリ前のお母さんの立ち位置も決まっている。食べられるだけで幸せ過ぎて甲乙つけ難いが、私はどちらかといえばワンタンが好きなんです。「そのほうが美味しいから」と注文ごとに具を包む。その柔らかい感覚は「ワンタンが生きたまま勝手に胃袋まで滑り込む」感じだといえば伝わるでしょうか。屋台仲間から賞賛される一方で、派手な宣伝をしながらアルバイトにまかせっきりの店を批判する。あるいは、春吉を「南天神」と呼ぶ甘ったるいイメージ偏重の風潮を嫌う。白い大きな提灯がある「紀文」の親父さんもいい腕だが、「呑龍」こそ博多の屋台でしょう。

 

7月7日 

「何が何でも」という韓国の姿勢に眉をひそめながらも、国を挙げての徹し方をうらやましいと感じたワールドカップが終りました。これで街中へ出かけるのをサボったり、コラムを書くのをサボったりする言い訳を失ってしまいました。開催期間中は博多駅や空港、天神でも多くの外国人をお見かけしました。MISSIONにも英語や中国語の電話がかかるのではないか、と昔の教科書を手元に構えていたけれども、当然の如く無駄な心配でした。世界中で情報を手に入れることができる時代になってきたにせよ、彼等の目には日本が、日本人がどのように映ったのでしょうか?とても気になるところです。

私が組織にいた頃、外国から来たお客の接待が続いた時期があります。いろいろな国から、性別、年齢、来日の目的がバラバラである人たちが来、それを順番に相手にするのは面白かった。彼等にすれば私はプライベートで接した数少ない日本人であり、風変わりだがある程度は頼りにせざるを得ない存在だったと思う。私にとっても二つあり、一方で彼等の堂々とした自分の国の自慢話に内心引け目や嫉妬を感じ、一方でそれ以前には漠然と感じるだけだった日本と自分のつながりが、系として濃い目のそれら外国人たちによって鮮やかなものとして浮かび上がってきたのでした。

今はもう亡くなっているかもしれない。当時で72歳だった小さな朴爺さんは仁川(インチョン)からやってきました。日本語がペラペラな朴爺との会話は簡単でしたが、それだけに強烈な史実上のコンテンツをぶちまけていただいた。酒を呑むと必ず加藤清正や伊藤博文を怒り、泣きながら体験談を語った後「日本人はひどい。特にあなたがひどい。」と怒鳴るのです。酔っているので多少の論理の飛躍は仕方がないが、その時代に生まれてもいない私は応えるのに困った。やっぱり日本人はひどいのか?自分達は過去の取り返しのつかない過ちを償い続けていかなければならないのか?と、気弱に思い込みそうになった。だけどそれが毎夜続くとこちらも落ち着いてきて、それは彼の人生を変えた大きな出来事であっただろうけど、こうして再び日本に来て日本の若造と酒を酌み交わす姿を見れば、こちらには察しきれない時間と抑揚可能な感情の積和によって、既に彼なりにその体験を克服しているのだろうことが想像できた。むしろ、目の前で当惑する若者をみて、年長者、人格者として悦に入っているようにも感じられた。仕事をきちんと済ませ、ディズニーランドではしゃぎ、受付け嬢が自分の孫に似ていると独り言を残し帰っていった。もし今の自分ならまた違った話や世話ができたろうと思う。韓国人では珍しい、自国民の不甲斐無さを省みよと書いている、呉善花(おうそんふぁ)の本でもプレゼントするのに。

生まれも育ちもいい、私と同じ世代、同じ背格好のドイツ(当時西ドイツ)人が来たこともあります。最初彼は、堅苦しいという私のドイツへのイメージどおりの人間でした。浦賀水道の艦船を見てNATOの話をし、有料道路の料金所では自国政府が開発する予定の衛星交通監視システムを聞かせ、水族館ではセイルフィッシュ(バショウカジキ)の引きは最高だったと言う。とにかく誇大した話が好きでこちらの肩が凝るほどでした。まあ、これから異国で活躍する前の、気持ちの昂ぶりなんかも有ったのかもしれないが。ちょうど通訳も同世代、男3人で妙な食事会になったとき彼は通訳のためらいがちな口調を通じて、

「(私の名前)よ、日本食の見た目の美しさはいいが、あまり生のまま食べないほうがいいんじゃないか?」

と言いだした。見たことがない海の生き物を、美味そうに食べる私の姿に彼は退いてしまったのです。ワサビやショウガには科学的に証明されている殺菌効果がある。酢飯も同じこと。特に食酢は板前が消毒にも使っている。日本人は菌が怖いからといって食材の本質を変えるような調理方法はとらない。クリーム煮やオリーブ油漬けも不味くはないが、生で食べられるようにする知恵こそ日本食だ。というような話を一気に聞かせました。案の定、彼の瞳孔は広がり、まるで今まで聞きたくてしょうがなかったのに決して聞けなかった“日本人による日本語り”をやっと耳にしたような表情をしてくれた。そんな展開に私も饒舌になり、参道の歩き方からトヨタの新型車の話までしました。彼も、イギリス人はブラフで食っていくのがうまいとか、イタリアで国会議員になってしまった元ポルノ女優は実はスエーデン人だとか、俗っぽい話をし始めたのです。自分は日本女性と結婚してみたいとも言っていたので、今も日本に留まっているかもしれません。きっと今ごろは、浮気相手も日本女性で、“サビ抜き”で注文しようとする彼女にワサビの重要性を説いてくれているだろう。私から聞いたと話してくれていればもっと嬉しいのに。

 その他に、Ms. Lucy Cuttingというアメリカ女性に、「昔の日本の作家であれば貴女の名前をさしづめ“切人さなえ”あたりに訳すでしょう」と笑かせて肩を組まれたり、ブラジル人の接待に知り合いの女性を連れていき本気で口説かせたり、なかなか気持ちが躍るような出来事が多かった。彼女、彼からは今でもクリスマスカードが届き、私は年賀状を返しています。

異国を訪れるということは、現代でも、どこの国の人でも、少なからずの緊張と訪れる国の体温を感じ取りたいと考えるものだとわかります。「あなたは日本人ですね」と彼、彼女が言うときには自分とは違う文化への意識と、異なるだろうがその文化により豊かさを得る習性を持つ同じ人類としての共鳴感が伝わる。平家物語を調べ、北斎が好きになり、神道に惹かれるようになったのも彼らのおかげかもしれません。

 

5月25日 

そよぐ風こそ爽やかでも、晴れた日には陽射しがとても強くなりました。太陽が北回帰線の真上を通るのもほんの一ヶ月足らず先のことだと思うと、桜の花も過ぎた日々、ですね。今の時期私の気持ちは、せまる雨の季節を跳び越えて、夏の海のことでいっぱいになります。私のいう海というのはマリンスポーツや海水浴ではなく、素潜りのことです。

今でも7月の最初の大潮には実家までもどり、近くの岩場で潜っています。サザエ、アワビを獲ることは場合によっては違法になるのだと思いますが、ウエットスーツも足ヒレも無しで、ひとり獲っている分には傍を通る漁師さんも何も言いません。海に棲む生き物に持ち主など居る訳が無いと、みんなやっています。子供の頃、潜りはじめた最初の頃は、とにかく大きな獲物を探しました。サザエの殻の大きさは、夏だけに通用する自慢でした。悔しいままでその年の夏が終わりそうなときは、カジメなどの海藻がよく繁る場所を見つけ、若い貝をこっそり移したこともあります。次の年までに大きく育ててやろうと考えたのです。今考えても自分がその岩場に同化したと感じた時でした。

実家ではまず、潮回りが大きい日を調べ干き潮に合わせて潜り始めます。月夜回りでは必ず昼下がりになります。晴天が続いているほど海は透明度が高く、前日に雨が降れば濁るのであきらめます。水中メガネに、父親が電気溶接とグラインダーで造ってくれた特性のタガネを腰に挿し波に浮かぶと、ほぼ真上から射す光で自分の影が岩底に映ります。海藻の揺らぎやカサゴの視線ですら別世界での驚きに感じて、嬉しいとも怖いともわからない気持ちが涌いてくる。何回か水面との往復をしているうちにそれにも馴れてきます。水面を通る鰯の群れが銀色に輝いたり、岩ガニがいつも挑戦的な姿勢をとっていたり、ベラがなれなれしく脇腹や股の間を何回もすり抜けたりと、潜る楽しさの方が大きくなる。いつもの岩の底に、去年と同じようにアワビなどいてくれるとますますうれしい。自分や仲間の名前を付けた岩根を探るのは、当時の記憶を探ることにもなりとても幻想的な気持ちになります。1時間ほど潜って岩の上で少し休む、これを繰り返します。休んでいるときに聞こえる、崖の上で旋回する鳶の声、静かな波の音。(書いている今も、外はとても強い陽射しです。我慢できない!今すぐコンクリートと騒音の都市から、彼等の棲む共生と豊饒の世界に飛び込みたい!) だんだんと陽が傾き、潮が満ちはじめると底のほうから水が濁ってきます。岩場の陰影も深く暗くなり、水中で物を見分けることがむつかしくなります。背中や耳の後ろ側が日に焼けてピリピリとしてきます。陸に上がり帰り支度をするタイミングです。夏の岩場では必ずといっていいほど黒いアゲハ蝶を見ます。岩場と蝶、私には小さい頃から不思議に感じる組み合わせです。もっと楽しみたいけど引き上げなければならない、少し物足りなくも、それがいいところだと思います。夕映えする島影には、昔から伝わる武士達の合戦場や、万に一つの希望を持ち破滅へと向かった時の秘密基地の跡があり、それらが疲れた身体に共鳴し何とも切ない気もちになることもあります。

月と潮の満ち干きを考えたり、多くの海の生き物と遭遇したり、自分の状態を知ったりと、素潜りはたくさんの面白味をあたえてくれます。

 今年は福岡でも潜ってみたいと考えています。せっかくの玄海灘、親潮ですから。もし良い場所を知っておられたら教えてください。

 

4月23日 

 私は鯨が大好きです。生き物としても食べ物としても好きです。一度だけ外洋で出会い(正確には背中と尾ひれだけをこちらが一方的に目撃した)その姿に圧倒されました。こちらの小船など意にあらず、驚く私の目の前で尾ひれを水面から翻し見せつけるように消えていった。最大の生物、我々と同じ哺乳類、7つの海洋を自由に生きる。昔の日本人が鯨に恵比寿様をダブらせたのもその時わかりました。WEBにも載っていますが、ザトウのような歯クジラの体内には、消化しきれないイカの鳶口などが球状に固まってできた「龍涎香(りゅうぜんこう)」と呼ばれる蓄積物があって、一代の財産ができるほどの高値で取引されていたようです。そんな大きくて尊い鯨を食す文化を持っている日本人であって本当によかったと感じます。

 それ以来、情操豊かな人々は食の対象に畏敬の念を抱いている、と考えるようになりました。鯨を食すとき、でっかい体や大洋を泳ぐ姿を意識します。あんなに尊大なものに少しでも近づきたい、あやかりたいという気持ち。だから昔の日本人には鯨が畏れ多く、粗末に扱えなかった。一頭の鯨全てを食し全てを使う。自分が生態系に組み込まれていることを本能的にわかっている、ということでしょうか。畏れ敬うから大事に食す。食すことで自分が生かされる、鯨とそのような関係を持つことができる自然界にも畏れを持つ。私は民族主義者でも右翼でもなく異国の人を引き合いに出すのは大変申し訳ないが、欧米人は牛の3〜4割程度しか利用できないのに対し、昔の日本人は鯨の全体重、殆ど全てを利用できた。食材、薬品、家屋、家具、農具、漁具など用途をあげれば生活全てにわたって、多くの人々を豊かにできたのです。初めのほうに書いた宝物まで見出している。リテラシーに富む言葉「鯨を獲れば七浦が栄える」という意味は日本人以外には理解できない。つまり同じように生き物一頭を殺しても、行為の意味合いが全く違うのです。その中には鯨を食すことで個体数を調整するという、自然界で日本人に与えられた重要な役割があるということも含まれる。現に商業捕鯨を中断している今、ミンクなどの異常繁殖が起こっている。茨城県の砂浜に多数の個体が集団自殺のようにうちあげられたニュースを憶えておられる方もいるでしょう。歴史が進展した今、すぐに同じことはできないが、先祖、先達が作り上げた鯨との密接なかかわり方に憧れ近づこうと努力することに残酷さの入り込む余地はありません。でも、ヒステリックな似非動物愛護主義者にはこの気持ちがわかんないのですね。ゴマフアザラシが見た目にかわいいからと大金を払い写真に納めるのと同じ感覚で、鯨は頭の良い動物だから食べてはダメだと叫び回る。一方で彼(彼女)らの言う環境保護活動の打ち上げパーティでは鶏肉や牛肉の無残な食べ残しでいっぱいなのです。なんと自分勝手で幼稚な人々なのだろう。食についてすら乏しい観念しか持てない人々に会うのはとても不快です。いやむしろ彼等を巧みに利用し政治や外交戦略に使う輩、その揺さぶりに簡単に屈する現代の日本人が、一旦は今の理不尽さを生み出したと嘆くべきなのでしょうか。近日下関で開かれる国際捕鯨委員会(IWC)会合では、長い間続く馬鹿げた風潮と決別できることを祈ります。

物事を単調に均質に捉えようとする動きが固有の文化文明を衰えさせようとしていると感じずにはいられません。我々の消化器官は魚や根菜など豊かな食材をも消化できるように白人よりも長い。クス、ムクなどの照葉樹林でも見つめられるように瞳や睫毛が黒い。変化に富む四季を快適に過ごせる様に肌が日焼けしたり白く戻ったりする。本人が好きでも嫌いでも生まれて育てばそうなる。このような特徴に無関心、無神経で何の愛護、何の保護でしょうか。日本人の食を歪め下痢をさせ肥満死させ鯨には集団自殺させることが目的か。いやいや少し言葉がすぎました。つまり、もう少し自分達の食文化について考える人が増えて欲しいということです。

好きな鯨について書こうとしたのに、とんでもない方向になりました。ほどほどにしないと私の正体がわかってしまいますね。話の内容や特定の名称と私は何も関係ありません。いかなる運動や組織にも関わっていません。MISSION以外には(笑)。こんな私にも少しは世を憂いたり不満を持つことがあるということです。それではまた。

 

4月7日 

 MISSIONのメンバーについて書くとき、実は私の女性観について書くことにもなってしまうと気づきました。でも初回の終りに約束しましたからね、メインページのコメントに書いていないことを書きましょう。ここに書くとメンバー達にも読まれることになるのでほどほどにはしますが・・・。

恋子さんとは昨年の夏あたりからMISSIONについて相談していました。とにかく何かを始めたい人で、早くホームページをアップせよと。今のサイトスタイルになってからは私が大部分をつくっていますが、最初の頃は恋子さんの言った通りの内容でした。当初のメンバーも自分のネットワークを使いあっという間に集めました。人見知りせず物怖じせずどこまでも!そんな感じですか。さみしいのが苦手のようですね。身体にいいからと遠い道のりを歩いて帰ろうとする。そのつもりが、さみしくなり居酒屋による。一人で飲んでも味気ないので誰か呼ぶ。集まると楽しくなって二軒目に。結局、酔っ払ってタクシーでご帰宅。まったく身体にいいんだか悪いんだか、気をつけてくださいよ。そういう自分をわかってか、今ではトレーニングジムへ通ってエアロビクスやヒップホップでみなさんと汗を流しているそうです。そういえば最近、表情が晴れ晴れしているような。

それにしても、よく今のメンバーが集まったと感じます。私はメンバーと1対1で会うことがほとんどです。皆さん個性的で魅力的です。共通しているのは、心の深いところで落ちつきのようなものを感じることでしょうか。生物学的に見ても女性のほうが種の本流と言え、男性は女性の亜種のようなところがある。種にとって未知の環境や悪条件に晒されると抵抗力として男性が増える。環境に変化が無くなると消えてゆく。やはり女性の方が、生まれてくる理由がはっきりしているし、それを本能的にわかっているところがあるでしょう。それに比べ男である私は、女性より生まれてくる理由が薄いのでジタバタしがちです。神話の世界でも、蛭子をつくって慌てて自分から声をかけなおしたり、覗くなと言われてるのに伊邪那美の醜い姿を覗いてしまうのは、男である伊邪那岐です。国境線を引いたり戦争をしたり、自ら作った階級や規定に蹂躙されたりするのも、このジタバタと関係があると思うのですが。女性であるメンバー達はこのような私のジタバタをどのように観ているのでしょうか?そういえば、このような意味合いを聞いても大した内容が帰ってこないのもメンバーに共通していることでしょう。決して無関心、無頓着ではないのは確かなのですが・・・。もしかすると『伝えるものは言葉だけではないのよ』などと、それこそ落ち着き払って私にわからせようと思っているのでは?なんと小癪な。

今、MISSIONに興味をもたれている女性の方がおられるかも知れませんね。恋子さんは上記したような性格ですから、来るもの拒まず去るもの追わず、道場はいつも開けっ放しです。おもてなしの心を持たれている女性ならいつでもお会いできると思います。いつでもメールか電話をどうぞ。私の方は、一緒にやっていただける方なら大歓迎です。せっかくMISSIONに参加していただけるのであれば、他にはいない素敵なお客様と接したり、夢のある出来事が起きたり、という体験をして欲しいものです。せっかく我々と知り合ったのですから、メンバーにはできる限り楽しい出来事が起こりやすくなるように努力しています。こんなものでしょうか。メンバー個人のメッセージはMISSION now!で順次紹介していきます。

桜も散りいよいよ陽射しも強くなりました。那珂川にも少しづつ鷺が増えています。熱く燃える季節を思い毎日の生活も活動的にならざるを得ません。MISSIONエージェント1年目の夏に向け、恋子さんはじめメンバー達とどのような楽しいことを起こせるのでしょうか。

 

3月25日 

最初だから私、エージェントとしての仕事の舞台となる福岡都心についてのお話から書きましょう。私は昔の仕事でずいぶん東京や地方都市を住み渡ったけれども、これほどまでに独自の文化や雰囲気を持った都市はないと感じています。食や伝統工芸は毎日のように全国のメディアで特集されていますから、今更のようにここで書くまでもないでしょう。前からいつかは住むことになる気がしていたような、不思議な気持ちがあります。

MISSIONで福岡を動き回るとき面白いと感じるのは、特徴ある街のつくりについてです。

黒田時代には、城を中心に武家屋敷で構成された福岡と、貿易と商業で栄えた博多という、機能を分かちあった都市を二つ隣り合わせることで、合理性と多様性を併せ発達させたと聞きます。ここは昔、異なる魅力を持った姉妹都市だったのですね。いや、この場合は夫婦都市と呼ぶべきなのでしょうか。そういう目で街を眺めると、なるほど大名や赤坂、大手門あたりは名前もそれらしいが街並みも城塞に良くある様子が伝わる。呉服町や対馬小路、店屋町などの路地は関わりのある商人で賑わった故に街の名前がそう呼ばれるようになったのでしょうか。その頃の流れを汲み取れるものは、街中を歩くたびに新しく発見できるのがとても楽しい。

商店街がたくさんあり、どれも賑やかで活気があるのも私が驚いたことです。唐人町、西新、柳橋にはよく出かけます。相談値引きは当たり前で、電話で待たせたからと買った品よりも高い花束をくれたおばちゃんもいた。そこにいると福岡博多の人はもともと商売好きな人達なんだと納得します。商売を通じて人とのやり取りを楽しんでいる。大阪も似たようなところがあるけれど、いかに儲けるかというところがもっとでているように感じます。「このおっさん今日まけとけば明日も必ずくるな」、とかね。まあそこが大阪人の底なしに面白いところに繋がるのだけれども。博多の人は腹の中になにもない。風俗店舗の客引きさんに道を聞いてもちゃんと正直に丁寧に教えてくれる。他の都市ではその彼が働く店に着いてしまった。いや、腹のなかにあるのかもしれないけれど、私のような未熟者では察することができないレベルの処世術があるのかもしれませんね。

何でも中心になろうとするのも博多の人の特徴ですね。ある本には中央志向、東京への憧れが強いと書かれてありましたが私にはそう感じられませんね。つまり自分を、自分が住んでいる街を、中心にしようとする気持ちが強いのではないでしょうか。祭りが多いのもうなずけますね。東京への憧れというよりも首都への憧れというべきでしょう。都市として今の東京に憧れを持つ人は少ないでしょう。俄か東京人が集まりすぎて街への気遣いが失われやすいのは何とも悲しいですね。あ、いえ、東京はまた違った意味で住んで楽しい街でしたよ。思い出もたくさんあるし。他の都市が悪くて福岡の方がいいと言っているのではありませんよ、念のため。そんな博多でも、夕方になると春吉橋のらんかんや那珂川ほとりの歩道はビラだらけチラシだらけ。歩道や花壇の縁石はスケートボードの傷だらけ。このあたりはいろいろな人間が暮らす都市の